とある難民と日本という国

今回のフィールドレビューは博士課程の萩原が担当します。NNNドキュメント共同研究の中で視聴したドキュメンタリーを取り上げたいと思います。

紛争や内戦などに端を発した難民は、常に世界中に存在します。ここ数年ではシリア内戦を原因とする難民が急増し、多くの難民が戦火を逃れてヨーロッパ等へ避難しています。

ここでは80年代にカンボジアから日本へ避難してきた難民の渡辺史遍さんと、彼を撮り続けてきたドキュメンタリーを紹介したいと思います。渡辺史遍さんを取材したNNNドキュメント作品は計4本、1986年に2本、88年に1本、93年に1本です。

86年のドキュメンタリー『父の国ニッポン ~カンボジアからの長い道~』では、内戦や徴兵から逃れるために、母と弟を残しカンボジアから父親の母国である日本へと渡った史遍さんと妻のチア・ヒアンさんが描かれています。史遍さんは日本語を話すことはできませんでしたが、事前に日本国籍を取得していたため、日本は史遍さんとチア・ヒアンさんの受け入れを決定しました。

そして88年のドキュメンタリー『カンボジアからの長い道』は、日本に定住した史遍さんを追っています。史遍さんは難民定住促進センターで数か月日本語を学んだ後、工場に就職します。他のカンボジア難民の人々に助けられながら日本の生活に慣れようとしていました。史遍さんの表情から徐々にこわばりが取れていくことが印象的で、カンボジアにまた住みたいとは思わないし、平和が一番だと語っていました。

そこから5年後のドキュメンタリー『カンボジアへの帰還 ~渡辺史遍さんと二つの祖国~』で史遍さんは陸上自衛隊員として登場します。とにかく衝撃でした。内戦や徴兵を逃れて日本に来た史遍さんがなぜ自衛隊員になっているのだろうと。

カンボジアの和平協定が結ばれた後、UNTACで日本の自衛隊は初めてPKFとして海外派兵されることが決定しました。作品の中でなぜ自衛隊に入隊したのかと聞かれると、史遍さんは「夜間学校に行きたかったから」と笑いながら答えます。史遍さんの叔父が自衛隊の隊員だったことも大きかっただろうとは思いますが、学校に行きたいからと自衛隊に入隊した事にどのような意味があるのでしょうか。

経済的徴兵制という言葉がありますが、例えばアメリカでは貧困層の軍隊入隊は社会問題となっています。大学の奨学金や医療保険のため軍隊に入隊する人々は多いと言われています。経済的な格差の大きいアメリカの一つの形だと言えます。日本でも昨年、アメリカの予備役将校訓練課程(ROTC)という制度を模して、自衛隊入隊を前提とした大学の奨学金制度の検討が始まっています。元々、自衛隊員は都心部ではなく、県民所得の低い北海道、東北、九州の出身者が多くを占めています。

史遍さんは学校に行くための資金がないとは明確に発言していませんが、おそらく史遍さんは工場で働きながら家族を養い、学校に行くことは不可能だと判断したのでしょう。結局史遍さんはUNTACの派遣に自分で志願し、放送時学校へは通っていませんでした。UNTACで自分の故郷であるカンボジアに関わる仕事がしたいと話していた史遍さんを複雑な想いで見ることしかできませんでした。

史遍さんの人生がどうであるか、私が判断することではありません。カンボジアに派遣された史遍さんはたくさん笑いながら話していました。紛争から逃げたのに自衛隊員になったということで史遍さんを責めるつもりもありません。しかし夜間学校に行きたかったから自衛隊員になったと話す史遍さんに対して、もっと他の選択肢はなかったのだろうか、というよりは、もっと他の選択肢を日本という国が提示することができなかったのだろうかと考えてしまいます。史遍さんがそれ以降どのような人生を歩んでいるのか、ぜひまたドキュメンタリーを製作して欲しいと思います。