日本美術の「もてなし」精神

今回のフィールドレビューは本年度から博士課程に進学する王が担当します。修論提出よりすでに三ヶ月が経ち、博士課程に入るかどうかとても悩んでいたのですが、ついに進学する判断を下しました。今回のフィールドレビューでは、そんな悩みの中でおこなった京都への旅をご紹介しながら、将来のキャリアに関する思惑をお話したいと思います。

先週、京都の細見美術館における茶道体験と美術館展覧会のセットプランを予約し、見に行ってきました。細見美術館は、大阪で毛織物で財を成した細見良(号古香庵)、その長男・細見實と三代細見良行が収集した東洋古美術品を展示する美術館です。細見良の生い立ちを描いた絵画によると、細見良は大阪から中国へ、また、のちに成立する満州国の蒙古地区へ行ったり来たりし、毛布の貿易をしていたといいます。こうして蓄積された資本を用いて、細見氏の三代が江戸時代の絵画をはじめ、日本美術の各分野にわたる物件を収集していました。

まずは、美術館の最上階にある「古香庵」という茶室で、茶の湯体験をさせていただきました。大屋根の直下に嵌め込まれたこの茶室は、数奇屋建築の名匠、中村外二の遺作として知られ、その端正な伝統美と、大江匡による美術館本体の個性的な現代建築が調和した空間です。東に向かって開放された造の茶室では、岡崎公園の並木越しに居ながら、東山の峰々も一望できます。このような絶妙な空間の中で、季節の生菓子をいただきました。そして、薄茶点前の説明をいただいた後、先生の指導で自分も一回やってみました。

なぜ茶道体験と美術館展覧会のセットプランがあるのか、このような茶室がなぜ美術館と一体化されているかという疑問を持ちつつ、美術館の展覧室でその答えを見つけました。初代の細見良の収蔵品が主に宗教の美術品を中心としたことに対し、二代目の細見實は父細見良の影響を受けつつも、世俗に近づく自らの収集方針を確立していきました。とりわけ、茶道具を収蔵コレクションに入れたのは、細見實の独創的な改革でした。このような茶道具の収蔵について、細見實は「(収蔵品の展示が)専門家のセンスによる美の飾りばかりであるべからず、観客をもてなすべきです。日本美術の精神がこの「もてなし」こそにあります。」と主張しました(第三展覧室にある説明文に対する回想より)。

つまり、この茶室の存在がまさに細見氏が提唱した「もてなし」という日本美術の精神を貫くのではないかと思います。この美術館に表現される美術の「もてなし」精神は、茶道具などといった世俗生活に近い収蔵品を用い、収蔵品と関連する観客の「もてなされた」記憶を起こしつつ、その場で観客の感情移入を喚起することを通して実現されています。茶室は、茶室の建築構造と茶の湯体験をとおして、客の「もてなされた」記憶を創ることができるのでしょう。

このように、「専門家のセンスによる美の飾りばかりであるべからず、観客をもてなすべきです。」という日本美術の「もてなし」精神に対する細見實の解釈がどうしても、私の頭から離れられなくなりました。

私が博士課程に入るかどうかにとても迷っていたのは、「研究者」という肩書に非常に抵抗感を抱いているからです。なぜなら、研究者は、庶民大衆を相手にせず、本分野の知識人しかもてなさないというイメージを強く持っているからです。とりわけ人文社会系分野ではよく見られますが、いかなる優秀な研究成果であっても、大衆どころか、他分野の研究者にも知られないのは、当たり前だと言っても過言ではありません。

各「研究者」の研究は、同領域の他研究者とそのテーマに関心をもつ知識人に独占されてしまうのです。執筆者がいかに博学な人かを同領域の人達に伝達しようとするため、研究者の「センス」を活かし、難解語などが多用されるようになり、論文がだんだん難解になるようになってきたのです。結局、研究成果は、大衆から遠く離れてしまいます。この研究者における「社会全体をもてなす」精神の不在が、侵略と戦争をテーマとする研究がすでに何十年にわたって蓄積されているのに、戦争加害の責任を触れずに被害者意識ばかりを強調する各分野の研究、ひいてはこういう社会の空気がまだ拡散されているようなことをもたらしたと思います。

知識人階層だけの知識を創りだす研究者像に抵抗感を持っているうえ、博士課程になった私は、この状況から逃げずに、このような形勢を生き抜き、一変させたいと思います。日本美術の分野から継承させていただいた「もてなし」精神を自らに引き継ぎ、社会各階層をもてなす研究者にならなければならないと思います。